アパッチは有害と考える
Apache Software Foundationの存在意義に疑問のなげかけるポスト
http://www.mikealrogers.com/posts/apache-considered-harmful.html
追加: 挑発的なタイトルが世間を騒がせてしまった。次の点を理解して以下読んで欲しい。
- ここでのApacheはウェブサーバではなくApache Software Foundationのこと
- これは俺の意見じゃない
- 俺はASFは有害だとは思っていない。元ブログ著者Mikealさんのタイトルを訳してみただけ
- 「有害」っていうのはちょっと強い言葉だと思う。MikealさんはGitをめぐるASF対CouchDB騒動において中立者の立場ではなく、そういうしがらみから強い言葉が出てきたのではないかと思う
- つまりSVN対Git派の政治的争いという部分はある
- 「GitHub革命」がASFのホスティング提供という存在価値を薄めたといのがここでの本当のストリーだと思う
以下、Mikealさんのブログを読んだ印象をまとめてみた。原文も合せて読んでください。
「組織はそれが解決策である問題を維持しようとする」-- Clay Shirky という引用で始まる。
おおまかなまとめ:
ASFの存在意義
- オープンソース啓蒙活動
- 開発者に対する支援と保護
- 資金面における支援
- IP問題、特に特許訴訟から守る
- 開発支援
ASFが発足した12年前は大企業がオープンソースを受け入れる環境ではなかった。しかし、時代は変った。今、オープンソースを利用していない大企業を考えるのは難しい。大企業から難なく受け入れられるようになった今、「啓蒙活動」という存在意義は薄れている。
ソフトウエアを囲むIP環境はパテント問題などより厳しいものとなている。なので、「デベロッパー保護」という存在意義は依然として健在だ。
開発支援?
10年前、オープンソースプロジェクトの管理は容易ではなかった。コードホスティング、メーリングリスト、バグトラッカーなどを設定して維持するのは面倒な作業だった。しかしそれは「GitHub革命」によって変った。
GitHub革命
「今、オープンソース・エコロジーの大きな進化の真っ只中にいると信じている」
ASFは「コードよりコミュニティー」という信念をかかげてきた。しかし、GitHubはそのような信念抜きで、コラボレーションを簡単に可能にしてくれる。「GitHub時代」にはASFの哲学は不要なものとなる。そして、ASFが提供してきたプロジェクト管理体制の必要性も薄れてきた。
http://www.kt.rim.or.jp/~kbk/zakkicho/ に訳があります。「Github 革命が気になったので訳してみる」を検索。
ASFはGit嫌い
長い話しを短くするとApacheはGit嫌い
- ASFはsubversion派でGitに脅威を感じている
- ASFメンバーはsubversionコミッターが多い
- Gitの使用を要求するプロジェクトに風当たりが強い
- 特にCouchDBのGit移行でかなりもめたよう