出来すぎた13人目のグーグラーの出世話
http://googler13.blogspot.com/2011/01/steves-story-googler-13.html
私は1972年にシカゴの貧困家族に生れた。両親と姉と犬と一緒に55平方メートルの1LDKのアパートに暮していた。父の害虫退治商売の手伝いでゴキブリや鼠をつかまえながら育った。
祖父の影響で15から株を学び始めた。1994年に21歳でボストンカレッジからトップで卒業。サンフランシスコに移住したが、そこには厳しい就職事情があった。幾つものつまらない努力と失敗のあと、「何かしなければ」との必死の思いで街に出た。
1995年9月。SF来て一年たったが成果は何もあがっていなかった。街を歩き回って出会った二人の人が印象に残った。一人は街角に座っり単にお金を乞う乞食だった。 (アメリカのホームレスは色々な工夫で同情させたり楽しませたりしてお金を乞うことが多い。物乞いもギブアンドテイクのビジネスなのだ。 厳しい顔してファイナンシャルディストリクトを歩いていて、ギャグ攻撃を受け思わず吹き出して『面白い!』と1枚(ドル)あげありするなんてこともある) もう一人は「悔い改めよ! 世界の終りは近い」と書いた看板を身にまとい立っていた。
一人は恥も磨り減り言葉を濁すこともなく直接欲しいものを求めていた。もう一人は確信の強さのあまり、自分のメッセージを物理的に着て世界に訴えていた。
その週末には自分スキルと律儀さを訴える看板が出来ていた。ある朝、古着屋で見付かった一番良いスーツを着て看板を抱え朝5時のバスで金融街に向った。
バンクオブアメリカの本社の前に立ち看板を着て履歴書を渡し始めた。(サンフランシスコの金融企業は3時間先のNY時間の市場オープンに合わせるので、5時にはトレーダなどが出勤している) 12時間そこに立ち続けた。
人が出社し、お昼を外食し、帰路につくまで履歴書をまいた。人生のなかで一番、屈辱的で謙虚にさせられた体験だ。目立つところで弱みをさらけ出し自分の確信を見せつけたした。反響は驚くべきものであった。人間に対する信用が戻ってきた。
頭の底にはトマトでも投げつけられるんじゃないかという危惧があった。 Wall StreetだったらそうなっていただろうとNYの友人に言われた。意外にも人は履歴書をうけとり話してくれた。テレビの撮影班まできてくれた。
この気違い染みたアイデアからダウンタウンで証券アナリストの職を得ることになった。この仕事は学歴と株の経験を生かすことができるものであったが、企業を分析するのはあまり好きではないということがわかった。企業を始めることに貢献したかったのだ。
続く